音楽する日本社会

 日本で生活していると、1日に何度も何らかの音楽放送を聞くことになります。これは過剰音楽の異常な状態ですが、ほとんど誰もがこれを受け入れています。
 
多くの商店街にはBGMが流されています。古都とか小京都と称されている落ち着いた街でも同様です。昨年、岐阜の郡上八幡に行きましたら、昔ながらの木造建築が並ぶ小さな通りには、町に不釣り合いのクリスマスソングが一日中流されていました。ここはコンビニもなく景観を売り物にしている静かな街なのに、BGMがそれをぶちこわしていました。

 日本の商店の多くが、喫茶店やレストランのほとんどが、BGMを垂れ流しています。大手のスーパーでは、店舗全体にBGMを流し、さらにこれに加えて個々のテナントが別の音楽を流しています。

 電車に乗ると、多くの駅で駅メロディーを流しています。これには2種類あり、東京の京王線のように電車の到着を知らせる到着メロディーと、JR他多くの私鉄のように電車の発車を知らせる発車メロディーです。各駅が固有のメロディーをもち、たとえば東京の山手線に30分乗ると、10数回異なったメロディーを聞かされます。

 牛乳やパンなどの食料品を扱う販売者が団地にやってくると、販売を知らせる大音響のBGMが流されます。冬になると、灯油販売者が、やはり到着を知らせるBGMを流し続けます。

 病院の待合室でテレビがつけられ、BGMが流されています。長時間待つ通院患者には苦痛になることがありますが、そう思うのは少数です。

 そして極めつけは、防災無線放送です。日本のほとんどの市町村の防災無線放送が朝と夕方に音楽を流します。

 このように、今や日本社会は音楽放送に席巻されています。そしてその異常な事態にきわめて寛容です。「音楽なら何でもいい」という姿勢が感じられます。

 もうそろそろこうした異常音楽事態に、少しは敏感になってもいい頃ではないでしょうか。
 

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